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  • ”イロドルヒト“ vol.3 田井中将希(たいなか・まさき)

    ”イロドルヒト“ vol.3 田井中将希(たいなか・まさき)

    見た目のいい男は得なのか、損なのか。男に限らずなのだけれど、ふとそんなことを考えた。
    田井中将希は26歳。俳優であり、以前はエイベックス所属の7人組のダンス・ボーカルグループ「BRIDGET」(ブリジット)でシンガーとして活躍していたこともある。



    田井中将希(たいなか・まさき)

    プロフィール

    田井中将希(26歳)
    長崎県新上五島町 観光物産大使


    前日から降った雨が上がった日の午後、目黒区の天空庭園で彼に会った。礼儀正しい青年。言葉をひとつひとつ、ていねいに選ぶ。彼の内面を知る必要のない人には、かっこつけたイケメンと映るかもしれない。田井中は、長崎県新上五島町(上五島)の観光物産大使を務めている。それが際コーポレーションとの接点だ。


    奈良県で生まれ育った。子どもが興味を持つものは、なんでもやらせてくれたという寛容な両親のもと、ピアノ、お絵かき、サッカー、水泳、公文式…習い事をたくさんした。6歳のとき、絵画教室で描いた「壷」の絵が二科展に入賞する。映画も大好きで、小学生の頃から映画館に入り浸っていた。「こち亀」世代の田井中が好きな映画は“寅さん”だ。人の情を描いているところが共通していると。


    絵や芸術に関心が深かった子どもは、学芸員の資格を取得しようと大阪の大学に進み、アート、デザイン、建築などを学んだ。いろいろなことに興味があったが、「映画」の世界に行きたいと思っていた矢先、大手芸能プロダクションにスカウトされ、ダンスボーカルユニットのボーカルとしてデビューすることになる。そのとき21歳。最初の転機だった。


    「BRIDGET」は、名古屋を中心にダンス、CM、モデルと幅広い活動をしていた。最初のステージで田井中は「棒立ちだった」。踊りは得意だったが、実は歌が苦手。自分よりも年上のやさしいメンバたちーに囲まれ、充実した日々ではあったが、田井中の気持ちは、どこかで音楽より役者に向いていたのだろう。映画のスクリーンのなかに、自分がいたい…。役者をめざす気持ちが強くなり、3年でグループを離れた。俳優座の試験を受け、一から役者の勉強を始める。月曜から金曜、朝から夕方まで3ヵ月、バレエ、日本舞踊、演技、演劇史など、初めて学ぶことばかりで新鮮だった。

    第2の転機は、山田洋二監督との出会いという形でやってきた。映画『家族はつらいよ』の撮影現場に誘われ、監督の背中を1ヵ月、見続けた。それまで「売れたい、テレビに出たい、役者をやりたい」と思ってきた田井中だったが、「きちんと人間として、世の中に対して何ができるかを考えるようになった」。役者はそれからだと。そこからの田井中は、自分の内面を磨くことに関心が向いていく。


    田井中の人生に影響を与えた人物として、もう一人欠かせないのが、日本画界の重鎮の故松尾敏男氏だ。正確には、松尾画伯の長女で音楽家である松尾由佳氏が、音楽を通して知り合った田井中に「ずばぬけた才能がある」と直感した。平成生まれのいまどきの若者だが、見た目と違い、質素で謙虚。そこに魅かれ、松尾氏は自身とつながりのあるさまざまな人物に、田井中を引き合わせていく。


    田井中が上五島に出会ったのも、その流れだった。松尾氏の知人に誘われ、初めて訪れた島で、新上五島町の町長の江上悦生氏と会った。きれいな海、温かい島の人のもてなし、何より町長の人柄にほれ、島のために何かしたいと、町の観光物産大使就任を二つ返事で引き受けた。以降、何度か上五島に出向いている。ダイビングにも挑戦した。海に潜る前日に、みんなで酒を飲む。終わったらまた飲む。寒い海から上がると、あったかいおでんとこれでもかという五島うどん。それがおいしくて、上五島がますます好きになった。


    今後、田井中は上五島でどんな活動をしたいのか。「若い人が集まるような仕掛けができたら」。来年3月には「全国椿サミット」が上五島で開催される。「名前だけで実働のない観光大使は意味がない」。そう言い切る田井中に、町も期待する。この夏、代々木公園で開催された「うどん天下一決定戦」会場にも、田井中の姿があった。タレントのような存在の登場に戸惑うスタッフを意に介さず、飄々と島の名物である五島うどんを売っていた。


    故松尾敏男画伯は、長崎県出身で長崎の名誉県民でもある。父親の遺志を継ぐ由佳氏は、松尾財団を立ち上げ、日本画を始めとする日本文化を世界に広める活動を始め、田井中を企画室長に任命した。直近では文化庁の事業の一環で、障害者によるプロの和太鼓チーム「瑞宝太鼓」のフランス公演にも同行してきた。


    若く、呼吸をするように、彼はあらゆることを吸収し、自分の中で咀嚼し、俳優「田井中将希」の細胞をひとつひとつ作り上げていくのだろう。アイドルのようなボーカル時代は、生活が不規則で食事も偏っていた。いまは地に足をつけて、食事にも気をつかう。夜12時には寝て、7時に起きる。冷蔵庫には息子を思う母からの惣菜が何種類もストックされている。田井中の周囲には、母のように彼を見守る存在がある。世の中には悪い大人もいるだろうが、酸いも甘いもかみ分けて、味のある男になってほしい。と思うわたしもまた「母」モードなのだ。


  • ”イロドルヒト“ vol.2 青木正臣


    青木の仕事は、絵を描くこと。毎日、埼玉県川越市にある工房に“出勤”し、朝から仲間と一緒に絵を描く。お昼にはお弁当を食べ、夕方までまた絵を描く。
    青木と言葉で会話するのは難しい。目を合わせることもほとんどない。その半面、彼の描く絵は雄弁で、一見ではわからない人間の奥行きを感じさせる。とても強い感情、すさまじい集中力、消えてなくなりそうな繊細さ、その底に流れる優しさ、苦悩…。9月初旬、青木の仕事場を訪ねた。




    プロフィール

    2005年、際コーポレーション入社。
    青木正臣(35歳)
    特定非営利活動法人あいアイに所属しながら、創作活動をおこなう。
    【受賞歴】
    ・サクラクレパスデザイン大賞入選「柿」
    (2005年)
    ・川越ヴィエンナーレ入選「ひまわり」
    (2008年)
    ・富士山世界遺産登録記念富士吉田市展
     市議会議長賞受賞「駿河湾に臨む富士山」
    (2010年)
    ほか入選多数


    テレビが好きな子どもだった。当時流行っていたテレビ番組の絵本を見て「これは何?」と聞いてきたのが、お母さんとの最初の会話。それから気づくとチラシの裏に4コマ漫画を描いていた。鉛筆で描かれた主人公たちの顔はどことなくみな同じで可愛らしい。


    幼稚園で女の子が泣いていると、ハンカチで涙をふいてあげるような子。担任の先生からそう聞かされたとお母さんは振り返る。男の子たちと走り回るような遊びはしなかったが、友達は女の子が多かった。養護学校のときも、自分より小さな子たちを膝に乗せ、めんどうをみた。自宅で飼い始めた捨て犬のことも可愛がった。自閉症の子どもはふつう他人には興味を持たないし、動物を嫌うが、彼はちょっと違っていた。


    まわりの大人が話していることはわかるが、自分の気持ちは伝えることができない。あるとき、お母さんに腹を立て、すっと立ち上がると1冊の本を持ってきた。指をさしたページには「お母さんなんて嫌い」と書かれていた。どんな物語の、誰のせりふだったのだろう。


    高校生になって、特定非営利活動(NPO)法人「あいアイ」の活動に参加するようになる。「あいアイ」は自閉症やダウン症の子どもたちが、絵画の制作を通して自立できるよう支援する団体である。代表の粟田千恵子さんは、みんなの絵の先生。「最初のころ、にこりともしない子だった」。何とか青木から表情を引き出そうと考えて、彼の描いた魚の絵を、そのままぬいぐるみに仕立てて渡してみた。目がくりっとした、青い鯖のぬいぐるみを見て、青木が初めて嬉しそうに笑った。そのとき「喜怒哀楽」の“喜”の感情が、青木にもあることを確信したという。


    下絵は必ず一筆で描く。細かい曲線も複雑な形も、一筆のラインで描く。好きな色は青。いつも使うフェルトペンは、何十色とそろっているが、絵をぬり始める青木を見ていると、何の迷いもなく、色を選んでいく。そのスピードも速い。青を基調に美しいグラデーションが重ねられ、どうしたらそんな色の運びができるのか、凡人には真似できない、軽く鳥肌の立つような感動を覚える。


    その日のお昼は、大きなおにぎり2個といろどりいいおかず。お母さんやみんなと食べる。食後、工房のテラスで、自画像と一緒に写真撮影をした。撮影のときの顔は、しかめつらで口は一文字。それが彼の「型」なのだ。
    取材のために、ていねいにファイルされた昔の4コマ漫画を見ていると、青木が絵を描く手をとめて、のぞきこんできた。自分の絵は全部覚えている。すべてのチラシの絵をお母さんは取っておいた。見るからに失敗作のようなものも捨てなかった。その1枚1枚が、青木とお母さんとの会話であるから。大切に紡がれた絆が、それぞれを生きる者の心を打つ。


  • ”イロドルヒト“ vol.1 瓦田脩二


    際コーポレーションにまた一人、期待の新人が仲間入りした。今年4月に入社した瓦田脩二(かわらだしゅうじ)だ。瓦田は、拓殖大学在学中に、タイで行われたキックボクシングSenior 63.5kg部門世界チャンピオンになった経験があり、現在は大久保にある「K-1総本部」ジムで日々厳しい練習に励んでいる。その瓦田のK-1ファイターとしてのプロデビュー戦が9月8日(金)に決定した。試合直前の練習に立ち合い、心境をインタビューした。




    プロフィール

    タイガー餃子会舘 宇田川町
    2017年度入社
    瓦田脩二(23歳)

    デビュー戦での目標はKOのみ

    福岡県北九州市出身、中学、高校時代はサッカー部に所属した。格闘技との出会いは、魔裟斗に憧れ19歳の時に地元のジムにフラッと入ったのがきっかけ。その後拓殖大学に進みキックボクシング部に入部、格闘家としての才能を開花させ輝かしい実績を重ねていく。今年4月に際コーポレーションに入社後は、K-1チャンピオンの夢を叶えるため、昼間は店舗に勤務し、夕方からはジムで練習の毎日だ。日々努力した中に掴んだチャンスが9月8日(金)のプロデビュー戦。練習では実践さながらリングにあがり、適格なアドバイを受け順調に調整している様子だ。K-1総本部ジム会長の梶原龍児氏(以下、梶原会長)との迫力あるミット打ちは圧巻だ。当日は、得意技の「膝蹴り」でKOを狙う。

    梶原会長「脩二はジムにとって良いスパイス」

    「瓦田君のように、企業からの支援を受けている選手は試合に臨む意欲が全く違う。ジムは分単位での練習メニューが用意されているため、時間の規制が厳しい。その中で瓦田君は遅刻もなく、練習態度も真面目なので周りに良い影響を与えている」そうエールをくれた梶原会長も、今回彼がチャンレジする63kg階級の王座に付いたK-1チャンピオン。同じ階級で、ぜひチャンピオンになってほしいとリングの上の瓦田に熱い視線を送る。

    際コーポレーションは全社あげて瓦田を応援します

    瓦田の勤務先、タイガー餃子会舘 宇田川の伊藤店長も、「一緒に働く仲間として応援している。この店からK-1チャンピオンが出るのはとても名誉なこと」とエールを送る。地道な努力の積み重ねの先に、瓦田の実力がいかんなく発揮されるか。9月8日、後楽園ホールの戦いに注目したい。

    後楽園ホールの試合結果はこちら



    店舗情報

    タイガー餃子会舘 宇田川町

    東京都渋谷区宇田川町37-35
    【平日・祝】11:30 – 15:30/17:30 – 23:30(L.O.23:00)
    ※金は28:00(L.O.27:00)まで営業
    【土曜】11:30 – 28:00(L.O.27:00)
    【日曜】11:30 – 23:30(L.O.23:00)
    85席



     
    ※掲載内容は2017年8月10日現在の情報となります。